八幡宮について

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間宮正八幡宮

広渡寺鎭守 間宮正八幡宮

広渡寺鎭守間宮正八幡宮は広渡寺(当時は大蓮寺と称していました)第三世信楽上人が大治年中(1126年頃)に鎭守として勧請創建されたと伝えられています。

後、韮山(伊豆・蛭が小島)に謫居(たっきょ、流刑)された源頼朝は源氏再興を神明仏陀に祈り三島明神に「百日の丑(うし)の刻参り」の願を立て参拝しました。広渡寺八幡宮は韮山と三島の中間に位置する社(間宮)なる故に頼朝は毎夜、当八幡宮にて休息し丑の刻参りの時刻の調節を計る(時鑑)こととしていました。

間宮正八幡宮

ある日の夜、当八幡宮にて休息(仮眠)していた折、白衣の老翁が現れて告げるに、「我は西方無量壽佛(阿弥陀佛)の化身にて弓矢(武家)の守護神なり、汝の願望をして満足せしめん…」との夢現の霊告に接しました。夢からさめた頼朝はたいそう驚きかつ歓ばれ、深く信を起こし当寺の社を間宮正八幡宮と号しました。

後、十有余年を経て頼朝公は海内を統一して征夷大将軍となり源氏再興・宿願成就するや、霊験あらたかなる当八幡宮へ報恩感謝の為、建久三年(1192年)頼朝公によって立派な社殿が造営されました。

又、この由来によって当寺の山号を間宮山、院号を時鑑院と称するに至りました。

当八幡宮は(南無)八幡大菩薩を本尊阿弥陀如来の化現として祀り広渡寺護寺、村(町)内安全、家運隆昌を祈念し広渡寺代々の住職によって大切に祀られてきました。

平成10年3月吉日
間宮山 時鑑院 廣渡寺 第二十五世 然誉裕光 記す



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広渡寺の槇

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